大阪高等裁判所 昭和43年(う)21号 判決 1968年6月10日
被告人 大石康夫
主文
本件控訴を棄却する。
理由
本件控訴の趣意は、弁護人川崎敏夫作成の控訴趣意書記載のとおりであるから、ここにこれを引用する。
控訴趣意第一点について
所論は、原判決は、被告人がその所有の店舗を上田斉一に賃貸した本件賃貸借契約証書中の第四条の賃貸料に関する条項の末尾に「賃貸料は二年間毎に更新する事」と書き加えたことを、私文書変造罪に該当するとしているのであるが、右の賃貸料を更新するとの文言は従前と同様の賃貸料をもつて賃貸するということを意味するに過ぎないもので、賃貸借両当事者間の権利義務に何らの消長を及ぼすものではなく、また借家法七条には賃貸料が不相当であると客観的にも認められるような事情のある場合には、契約の条件にかかわらず当事者は賃料の変更を請求できる旨の規定があつて、右の如き文言の有無に関係なく、賃貸料の変更を請求できるものであることに徴しても、右文言は法律上何等の効果もない無意味なものというべきである。従つて右文言を書き加えた被告人の所為が本件賃貸借契約証書の内容を不法に変更したものとはいえないのに、原判決が被告人の所為を刑法一五九条二項所定の私文書変造罪に該当すると認定したのは、法令の解釈適用を誤つたものであるというのである。
よつて、検討してみるのに、本件賃貸借契約証書が被告人および上田斉一両名の共同作成名義にかかる私文書でそれが刑法一五九条二項所定の権利義務に関する文書であることは、原判決挙示の各証拠によつて明らかである。そして文書の変造とは、文書の内容を変更してその証明力に改変を生ぜしめることであるが、その程度は、それが法律的に直接権利義務を発生、変更させる程の効力を有するものではなくても、事実上権利義務に変動を与える可能性を有するものである場合は、やはり法律が保護しようとする文書の公信力を害する危険があるものとして、私文書変造罪に該当すると解されるところ、被告人が本件賃貸借契約証書にほしいままに書き加えた「賃貸料は二年間毎に更新する事」との文言は、所論の如く単に従前の賃貸料をそのまま継続するという意味を有するに過ぎず、法的には全く無意味なものとは解されず、むしろ右文言は賃貸借契約成立から二年経つた時並びにその後二年の期間を経過する毎に賃貸料を改めて協定すべきことを意味しているものであり、それが多くの場合賃貸人からの賃貸料増額の請求となり、賃借人としてはその請求に応ぜざるを得ないのではないかとの拘束感を抱かせるものであると認められるのであつて、被告人および上田斉一においても右文書を右の如き趣旨に理解していたものであることは、原判決挙示の各証拠に徴して明らかである。従つて右文言は少くとも事実上賃貸人並びに賃借人双方の間の賃貸料に関する権利義務について変動を生じさせる可能性を有するものであつて、被告人が右文言を本件賃貸借契約証書にほしいままに書き加えたことは、やはり右契約証書の公信力を害する危険があるものとして私文書変造罪を構成するというべきである。そして所論の如く借家法七条に当事者が賃貸料の変更を請求し得る規定の存することは、未だ右の如く解するのを妨げるに足りる事由とはなり得ないものといわざるを得ない。
よつて、被告人の右の所為を刑法一五九条二項所定の私文書変造罪に該当すると認定した原判決は正当であつて、所論の如く法令の解釈適用を誤つたものとは思料されないので、本論旨は採用できない。
控訴趣意第二点について
所論は、被告人は本件賃貸借契約証書に「賃貸料は二年間毎に更新する事」との文言を書き加えることは、何等法律に違背するものではないと確信していたもので、違法の認識はなく、また右の如く適法なものであると信じたことについて相当の理由があつたものというべきであるから、被告人には犯意がないとして無罪を言い渡すべきであるのに、被告人を有罪と認定した原判決は事実を誤認したものであるというのである。
しかし、原判決挙示の各証拠によれば、被告人は本件賃貸借契約証書に右文言をほしいままに書き加えることが違法である旨の認識を有していたことが優に肯認されるのであつて、被告人が右の所為を適法と信じ、かつそのように信じたことに相当の理由があつたものとは認められないので、本論旨も理由がないものといわざるを得ない。
控訴趣意第三点について
所論は、被告人が右文言の如き条項を本件賃貸借契約証書の中に記入することについては、右契約当初被告人より賃借人の上田斉一に話し同人もこれを承認していたのであるから、被告人は権限なくして不法に右文言を書き加えたものではない。従つて被告人の右所為は変造に該当するとはいえないのに、原判決が変造罪の成立を容認しているのは事実を誤認したものであるというのである。
しかし原審で取調べた全証拠を検討するも、被告人が右文言を本件賃貸借契約証書に書き加えることについて、これを右上田斉一が承認していたものと思料される何等の証拠もなく、原判決挙示の各証拠によれば被告人が何等の権限もないのにほしいままに右文言を書き加える所為に及んだものであることが優に肯認されるから、本論旨も到底採用できない。
よつて、本件控訴は理由がないので、刑事訴訟法三九六条によりこれを棄却することとし、主文のとおり判決する。
(裁判官 奥戸新三 佐古田英郎 梨岡輝彦)